山崎製パンはなぜ、災害時の緊急食料支援に強いのか

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今回の熊本地震で自社工場が被災したのにもかかわず、被災者への緊急支援でそつのない対応を見せた企業がある。

 

製パン業国内最大手の山崎製パンだ。

 

2014年2月の大雪の際も、配送トラックドライバーの機転によるパンの無料配布がネット上で大絶賛された。

なぜ、山崎製パンは、災害時の緊急支援に強いのか。その秘密に迫った。

 

 

●自社工場も被災 それでもそつなく緊急食料支援

 

14日夜に熊本県で最初に発生した激しい地震から、26日で12日が経過した。

被災者に対する支援を巡っては、国は、避難所避難者への支援物資を被災地の要請を待たずに緊急輸送する「プッシュ型支援」を初めて行った。

 

しかし、熊本県や地元自治体との連携が上手く取れなかったために、集積地に物資が必要以上に積み上がったり、配布の「公平さ」ばかりを重視したりした結果、必要なものが必要な時に避難者に行き渡らないなど官主導による支援体制の課題が浮き彫りになった。

 

こうした混乱のなか、自社の工場も地震で被害を受けたにもかかわらず、被災者への緊急食料の支援などでそつのない対応を見せた企業がある。

製パン業国内最大手の山崎製パンだ。

 

同社の熊本工場は熊本市から南に約15キロのところに位置する宇城市内にあり、ここで生産した食パンや菓子パン、和菓子や洋菓子類を熊本県をはじめ、南九州の各県に向けて出荷。

自社で展開するコンビニチェーン「デイリーヤマザキ」のほか、大手スーパーや主要コンビニに毎日納入している。

 

同工場は二度にわたる大きな地震の揺れで工場の天井や壁の一部が剥落したものの、幸い、従業員や生産設備には被害はなかった。

 

ただ、自宅などが被災したパートやアルバイトスタッフも少なからずいたことから、本社や同社の福岡工場(福岡県古賀市)から人の応援を受けた上で、17日から操業を再開した。

 

そして、自治体からの要請に応じて避難所などに食パンや菓子パンなどの供給をスタート。

並行して、製品の生産アイテム数を絞り込んだ上で通常の出荷も開始した。

地震直後、店頭のパンコーナーの棚が空になった県内各地の大手スーパーやコンビニにも、「ヤマザキ」マークの製品がすでに戻っている。

 

 

●山崎パンが素早く復旧できた理由 準備が「想定通り」に生きた

 

自動車や電機など大手製造業では今回、熊本や大分の現地部品工場が被災し、完成品の生産にも支障が生じるという事態が「想定外」の広がりを見せた。

 

さらに、製パン他社が熊本市やその周辺に構える工場は、操業再開が遅れているという。

こうしたもたつきを横目に、山崎製パンが素早い復旧を果たせたのはなぜか。

 

1つは、日頃から取り組んできたハード・ソフト両面での危機管理への準備が、「想定通り」に生きたことが挙げられる。

 

実は、山崎製パンは今から40年以上も前の1973年7月、当時のパン工場としては国内最大・最新鋭であった武蔵野工場(東京都東久留米市)を失火により全焼するという苦い経験をしている。

人的被害は奇跡的になかったものの、大手スーパー各社などから注文を受けた大量の製品が生産・供給できなくなるという、会社存亡の危機に直面した。

 

このとき同社は、武蔵野工場の受注分を関東周辺の各工場が昼夜フル回転することによりカバーし、火災から3日目には代替生産を軌道に乗せて、通常通りの受注と供給が出来るようにしてしまった。

焼けた工場建屋も直ちに再建に取り掛かり、同年12月には再稼働を果たすという回復ぶりをみせた。

 

この体験により、同社には「どんな試練や困難に遭遇しようとも、注文のあった製品をお客様に届けることに全力を挙げる、という考えが全社に根付いた」(山崎製パンOB)。

 

1986年1月に関西ヤマザキを吸収合併して国内製パン業界でシェア4割というガリバー企業となってからは、太いパイプを持つ農林水産省の意向も受けて、「食品企業として被災地への緊急食糧の供給は責務」(飯島延浩社長)と標榜するようになった。

 

それが文字通り生きたのが1995年1月の阪神・淡路大震災であり、2011年3月の東日本大震災であった。

阪神・淡路大震災の時には、兵庫県と神戸市から食料供給の要請を受けて、大阪府吹田市と松原市にある自社工場の稼働を、全社を挙げてバックアップし、1月末までに100万個の寄付分を含む計270万個の菓子パンを、自衛隊の輸送協力を得ながら被災地に供給した。

 

また、東日本大震災の際には、宮城県柴田町にある同社の仙台工場が地震によるライフラインの途絶によって停止。

関東地区の各工場も計画停電や一部原材料の不足などの影響で安定した生産が難しいというなか、無傷であった中京以西の各工場がただちに食パンや菓子パンを、またグループ会社もおにぎりを増産して、政府並びに各自治体から求められた緊急救援食糧を支援物資の集積所や避難所に届けた。

 

地震発生から1ヵ月間に山崎製パンがグループ会社分を含めて被災地に提供した食料は、パンが864万個、おにぎりが244万個、菓子類が46万個に上ったと同社の資料は語る。

 

 

●「火事場の馬鹿力」を発揮 非常時の組織力、結束力は極めて強い

 

仙台工場の復旧に向けての対応も早かった。

 

震災2日目の3月13日には飯島社長がトラックに乗って現地入りし、大きな余震が続くなかで工場の再建を陣頭指揮。

グループ内のエンジニアリング子会社の人的パワーも総動員して、4月4日には操業再開に漕ぎ着けている。

 

「火事場の馬鹿力」といっては例えは悪いが、「普段から飯島社長が右を向けといったら、社員みんなが一斉に右を向くという軍隊のような会社なので、非常時の組織力、結束力は極めて強い」(同業他社社員)。

 

スーパーやコンビニにとっても、災害時に安定かつ途絶えにくいデリバリーを行ってくれるメーカーは心強いものだ。

 

そして、大きな災害を経験するほど信頼関係も厚くなっていく。

一部の市場関係者は「熊本工場の速やかな復旧が果たせたことにより、南九州地域での山崎製パンのシェアはさらに数ポイント上がるのでは」と指摘している。

 

山崎製パンの強みは、こうした修羅場の経験に基づくタフさだけでない。

素早い復旧を果たせた2つめの理由が以下の点になるのだが、同社の充実した自社インフラ網も天災などのリスクに対する冗長性を高めるのに役立っている。

 

山崎製パンが国内に構えるパン工場は、北は札幌工場(恵庭市)から南は今回地震に遭った熊本工場まで、直営だけで計25拠点に上る。

 

さらに資本参加や生産委託提携を結んでいるローカルの製パン会社もあり、これらの生産拠点から自家用トラックによる網の目のような自社物流網が伸びて、顧客先である大手スーパーやコンビニなどに納品している。

工場間で製品を相互に融通する社内トラック便も走っている。

 

前述した通り、エンジニアリング子会社まで抱えて製パン設備などもすべてではないが、内製している。

 

業務のアウトソーシングやサード・パーティー・ロジスティクス(3PL)がすでに一般化している国内製造業のメインストリームを考える時、山崎製パンがみせる「自前主義」と「保守性」は株価を押し下げかねない要因の1つではあるが、こうした一気通貫の社内機能が柔軟かつ機動力のある緊急対応をもたらしているのもまた、事実である。

 

 

●大雪で絶賛された「神対応」 株主総会でも話題に

 

「大雪の中ヤマザキパンさんが神対応! 」

 

2014年2月に首都圏・甲信越を襲った大雪の際、多くのクルマが立ち往生した中央道談合坂サービスエリアで、納品時間に間に合わなかった山崎製パンの配送トラックが積荷のパンや団子などを無料で配り、その写真とともに短文投稿サイト「ツイッター」で称賛されたニュースを覚えている向きも多いだろう。

 

実際にはこの美談は、会社としてあらかじめマニュアルなどで定めた対応ではなく、納品指定時間を大幅に過ぎ、工場に持ち帰っても廃棄処分の道しか残されていなかったことから本社の承認を得たうえ、食料に困っているサービスエリアのドライバーたちに特別に配布したというのが真相だ。

 

だが、何気ない「ツイッター」のつぶやきをマスコミが注目したことから大きなニュースとなり、翌日には山崎製パンの株価も上昇。

翌月の定時株主総会でも話題となるなど、同社の危機管理への姿勢が食品企業としての矜持とともに図らずも周知されることになった。

 

こうした柔軟な対応も、物流機能を3PLに業務委託していたら不可能な対応であっただろう。

 

もちろん、山崎製パンの「自前主義」は、株主が求める経営の効率化という面からみると課題が多い。

 

赤字続きの「デイリーヤマザキ」を筆頭に、飯島社長の「強い意志」(前出OB)で続けている不採算事業も散見される。

 

経済合理性と事業運営の冗長性という半ば相反する要素が、絶妙なバランスのうえに成り立っているのが、「リスクに強い」とされる山崎製パンの姿なのである。

 

とはいえ、山崎製パンが再び、緊急救援の食料を増産しなければいけないような天変地異が起きないことが、何よりであるのはいうまでもない。

【鈴木広行】

 

 

 

ダイヤモンド・オンラインより

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