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2010年04月22日

【ユーティリティープレーヤー】

先日、プロ野球公式戦の試合前

のシートノック中に倒れ、37歳の

若さで亡くなりになった読売ジャ

イアンツコーチの木村拓也さんの

事についてふれたいと思います。

1972年生まれ宮崎県宮崎市出

身の元プロ野球選手(内野手)。

高校時代は4番を打ち高校通算

35本のホームランを打ち遠投で

120メートルを投げる強肩捕手と

して活躍した。

しかし1990年のドラフトでは指

名されず、ショックを受ける。

ドラフト外で日本ハムにプロ入り

する事になった。

キャンプ初日にシートノックでボ

ール回しをやった時に、『とんで

もない所に来てしまった』プロの

スピードに圧倒された。

これではドラフトに指名されない

わけだと納得する。

プロ2年目に初めてチャンスが

廻って来た。2軍監督から外野を

守るように言われ、試合に出して

もらえるのであればと外野を練習

した。
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結局2年目は(ヒット3本)に終わ

った。3年目は1軍でのスタート

でしたが、殆どが守備要員での

起用だった。

それも1か月ほどで二軍に落ち

て、それ以降は一軍に上がれま

せんでした。

そんな3年目のオフに転機があり

ました。

9月末から12月末の4か月間の

ハワイのウインターリーグに参加し

た時にイチロー選手と一緒になって

4か月間同じ部屋で過ご過ごす事

に・・・。すると朝起きたらイチロー

選手がいない。朝からウエートトレ

ーニングをしていたのです。

1歳下のイチロー選手に衝撃を受

けました。このウインターリーグで

イチロー選手は首位打者を獲りま

した。

自分はこんなんじゃだめだなと思

い再スタートを誓う。

4年目は1軍にいたが、やはり守

備要因だった。しかし『やっと野球

選手になれた』と実感した矢先に

広島へトレードとなる。

しかも当時の広島は野村、江藤、

前田、音、緒方、金本といった有名

選手ばかりで、入り込む余地がな

かった。移籍1年目は数試合に出

場したが7打席でヒットなし、『これ

ではクビになる』とおもい、どうした

ら生き残れるのかを考えた。

1軍レギュラーの中でセカンドが

35歳のベテランだったので、セカン

ドをやるしかないと練習をした。
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移籍2年目は1軍をいったり来たり

左投手の時には代打での出場機

会があるが、右投手の時には代え

られてしまう・・・。右投手を左打席

で打てる様になれればとスイッチ

ヒッターの道を探る。スイッチヒッタ

ーの場合人の2倍も練習しなけれ

ばならないが、その分気づくことも

多かった。今まで体の近くから外

に逃げていく玉が、左打席だと殆

どなくなり、球種が半分に絞られ

た。

そうすると打てるようになって来て

プロ10年目で初めて136試合に

フル出場する事ができた。

平均寿命が8~9年のプロ野球選

手の中で、その年月を生き残る事

が出来た。

そして34歳になった時、広島が若

手選手への切り替えを図っていて

出場機会も減りそうだったので、

まだ小さい子供もいるし、家のロー

ンも残っていたので、自ら志願して

トレードに出してもらった。

最後に入団したのが読売ジャイア

ンツだった。ここでは3連覇や日本

一も経験した。
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自分は『こういう選手になろう』と思

ってここまで来た選手じゃない。

こうやるしか思いつかなかった。

それが【ユーティリティープレー

ヤー】(何でも屋)で、それでもこの

世界で食っていける。

『レギュラーになる、エースになる』

だけではない。

『俺が一番うまい』と思って入団して

一番得意だった事がうまくいかない

それもプロ野球。

その時にあきらめるのではなく、自

分の話を思い出してほしい。

投げ出す前に、自分自身を知って可

能性を探るのも必要ではないか?

この文章を読んでいるとプロがこんな

に厳しいのか?と言う事を感じるし

その中で、自分の小さな可能性を

見つけ花開くまで、努力をする木村

コーチの執念というものを強く感じる

のではないでしょうか?

最終的に木村拓也さんは投手以外

のポジションを全てこなし、しかも

スイッチヒッターと言う事で、まさに

(何でも屋)でした。

これこそプロ根性と言うべきなので

しょう。

自分の可能性の為に何でも受け入

れる素直さと、新しい事をものにす

る為に努力を重ねるこの根性は是非

とも見習いたいと思います。

最後に、木村拓也コーチのご冥福を

お祈りいたします。

【読売ジャイアンツ公式ホームページ

の中のNPB新人研修 木村拓也コー

チ講義】をご紹介しました。